ESWC

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先日Blogに書いた、5月末からギリシャで開催されるESWC(Extended Semantic Web Conference)というSemantic Webに関する国際会議内で行われるAI Mashup Challengeに採択をいただきました。

Phroni: Augmenting Wikipedia Using Mashups [PDF] [Web]

ESWCは、Semantic Web関連で最も権威ある国際会議の一つで、行っていろいろ勉強してこようと思っています。

何だか最近報告ばかりになってしまっていて恐縮ですが、5月末からギリシャで開催されるESWCというSemantic Webに関する国際会議内で行われるAI Mashup Challengeというコンテストに自社製品を応募しています。

AI Mashup Challenge応募ページ: http://sites.google.com/a/fh-hannover.de/aimashup/home/phroni
7th Extended Semantic Web Conference: http://www.eswc2010.org/

現状は英語バージョンのみですが、もしご興味あれば、是非一度ご覧になってみてください!

Blogで報告していませんでしたが、修士論文の内容をベースに執筆した論文が、下記の国際学会に採択をいただきました。

MEM2010: http://www.integror.net/mem2010/

このカンファレンスは、WWW2010という国際会議内のマッシュアップに関するワークショップで、4月26日から30日に米国ノース・カロライナにて開催されます。発表するのは、会社の方で作っている、Webのマッシュアップを用いて新しいWebサイトを作るためのツールです。

お世話になった方々、ありがとうございました!

雑考

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「なぜ存在者はあるのか、むしろ無があるのではないか」我々は漠然とした存在そのものに対する不安を覚えながら生きている。存在しているということは消えるということであって、そこには漠然とした恐怖がある。

我々は極めて微小な存在である。時間が無限に続くとすれば、相対的に見れば無限小の時間の中で生きているわけだし、空間が無限に拡張していくとすれば、無限小の大きさとして生きている。そこに何らかの確信可能な意味を見出そうとするのは、ほとんど不可能である。

哲学と社会とは何の関係もない、むしろ関係させようとすること自体が哲学そのものの価値を下げるとハイデガーが言っていた。しかし、だとすれば、社会の中に生きる我々は何だろうか?何を意味と考えて、どのような理由をもってして、思考空間を限定して活動していけばよいか。おそらくそのように思考を展開していくこと自体が、そもそもナンセンスなのだろう。

我々は制約された世界の中で、微かな感覚に依存しながら生きている。そこには何か、彼岸世界に到達不可能な感覚を求めるような、心理的構造がある。誰かがいるのか、何かあるのかと問いながら、むしろそれを信じながら生きていくことにはどこか不変の必然性があり、そんな人間存在自体を愛するような感覚が、僕は好きだ。そして、それは微小な存在の集合体として、ある種自己完結的な系を作りだしつつある我々にとっては、真理に近い感覚といえるのかもしれない。

最近の悩みは日本語力が落ちていること。もうね、日常表現が出てこない。今日はスーパーにファイルを買いに行ったが、ファイルという単語がとっさに出てこなくて、「何か、紙を閉じる物はどこにありますか?」とか言って怪訝そうな顔をされた。もしかしてchinese?みたいに思われたに違いない。

そもそも日本語というのは難しい言語だと思う。昔から難しい単語は使いこなせないし、時々すごく基本的な単語の使い方の間違いを未だに指摘されたりしてびっくりする。今までの人生、難しすぎる漢字は、文字化けだと言うことで流してきたけど、昨今はUnicodeの影響か、そういう言い訳も通用しなくなってきた。みんな、一体どこでそんな国語力をつけるのだろうか?

そういえば漢検(?)のシール見たいのがよく電車に張ってあるけど、ほとんど解けたことがない。なんか流行りのDSの漢字の勉強のソフトでもやってみようかとか思ったりして。iPhoneとかでも出来るのかな。ああいうのって、どうでもいいけど、漢字の識別って精度良くてすごいよね。

言語と言えば、プログラミング言語も言語だし、やっぱり「言語野」に入る容量は限られてるに違いない。もしかして、スクリプト言語とかが増えてきすぎると、みんな言葉しゃべれなくなったりするのかな。関数型とか、sequentialな言語に比べてextraな容量食いそうだよね。やっぱ日常生活を正常に送るためにも、プログラミングのパラダイムは一つにしておいた方がいいね。

最近、研究をしている。研究というのは、場所を変えたりしながら、パラパラやるのがポイントだと思う。家にいて寝たりしながらやる方法もあるけど、一人暮らしなのでいかんせん家が狭くて息が詰まるので、最近はパラパラの方を採用している。

真面目な話、2~3時間と、その後でパフォーマンスが5倍くらい違う気がする。5倍って言ったら、3時間やった後に3時間作業しても実質4時間弱と一緒。つまり、いかに気分を変えながら進めるかにかかっていると言える。

また、パラパラすると言っても、最初に行ったところは何か落ち着かないし、でもあんまり行き過ぎると(特にスターバックスとか)店員が話しかけてくる的なイベントが起こるし、ある程度分散させることが重要である。

ということで、作業する場所リストを作成。

良くいく場所:
・オフィス(雑司が谷)
・家(駒沢大学)
・実家(すずかけ台)
・ドトール(駒沢大学)
・エノテカバール・プリモディーネ(駒沢大学)
・スターバックス(町田金森)
・セガフレード(長津田)

ごくまれにいる場所:
・研究室(SFC τ館2階)
・W3C(SFC τ館4階)
・スターバックス(玉川高島屋)
・さむしんぐ(雑司が谷)
・TOKYO PEOPLE'S CAFE(駒沢大学)

ごくごくまれに行く場所:
・マメヒコ(三軒茶屋)
 問題:おしゃれマダムが多すぎる。横でビール飲まれるとやる気が減る。
・tocoro cafe(三軒茶屋)
 問題:本格的すぎる。ラップトップをパチパチするのは相当の気合いが必要。
・アヂト(駒沢大学)
 問題:なんか気に入らない。
・オンブラ(駒沢大学)
 問題:遠い。

最近、気づいたのは、ファミレスがいいということ。サイゼリアは嫌いなので、ジョナサン・デニーズあたりからかな。

最近、会社の業務がだいぶ体系化されてきて、研究に割ける割合が増えてきた。研究は一人でするものなのでどこでも出来ると言えばできるのだけど、パフォーマンスがかなり気分に依存するので、何となくいろんな場所でやりたくなる。

うちの近く(駒沢大学)に広いドトールがあって、かなりヘビーユースしている。スターバックスとかでもいいのだけど、なんか照明が暗いのと、集中してる時に店員さんが話しかけてきたりするので、あまり気乗りしない。

オフィスに席があるから、オフィスでやればいいという話もあるが、研究に集中していると、他のことは考えられなくなるので、そういう気もしない。仕事はやっぱりコミュニケーションが大事だし、オフィスにいるときはあまりそういうモードにしたくない。

せっかくSFCなんだし、学校に行けばいいとも思うけど、いかんせん遠すぎる。バスも合わせて片道1.5~2時間かかるので、わざわざ作業のために行く気がしない。でも、SFCにも週1~2回くらいは通うんだろうし、キャンパス内にもどっかお気に入りの場所を作るといいのかも。

たぶん図書館とかいけばいいっていう話かなとも思うけど、キーボードをバタバタずっと打ってるとちょっと迷惑かなとか。六本木ヒルズライブラリー的なものの会員になってみるとか?誰かが論文の仕上げは大江戸温泉でやるとか言ってたけど、そんな方向性とか?美術館のカフェみたいなところとか?

そんなことを考えてると、大体ドトールになっちゃう。車でびゅんびゅん移動できたりすると、いろいろ変わるのかもね。

こんなエントリーも。
http://q.hatena.ne.jp/1227253731

プログラミングをする上で、何が面倒かと言われれば、数個あげたら絶対に入るのがエラー処理だ。という意味で、エラー忘却型コンピューティングは本質的である。

そして、また数個あげたら入るのが、パフォーマンスだ。という意味で、富豪的プログラミングは本質的である。

世界は常に本質的な方向に動いていく。ということで、これからは我が社でもエラー忘却的で富豪的な、エラーは忘れて王族的な富豪感覚を持ったプログラミングを推進していこうと思っている。我々は忘れることで辛いことを乗り越え、お金を持つことで、豊かになっていく。これからのクリエイティブな時代は、そうした余裕のある気持ちで仕事にのぞんでいくべきだ。

エラーは起こらないことにしよう!起こったら忘れよう!コンピュータのパフォーマンスはムーアの法則で改善されることにしよう!プロセッサが4個になったらパフォーマンスだって4倍になるに違いない!ならなかったらクラウドだ!

SONY Readerを当社の通称アンテナ君が代理で買ってくれた。Kindle対抗で、かなり安い。僕はなんか雰囲気で高い方にしてしまったが、安い方なら$199。海外から取り寄せているらしいので、多分来週くらいには届く感じかな。今から楽しみ。

僕は勉強をするのは外のカフェとかの方が好みで、ちょっとした時間にやりたいんだけど、アカデミックな本は特に厚いし重いし、一冊でも持ち歩くのが大変。ほんとは数冊持ち歩いて気分によって読む本を変えたいんだけど、ラップトップを持ち歩くと一冊でも腰的にギリギリって感じで、どうしても洋書だとオライリー的なカバーが分厚くないものを優先的に選んだりしてしまう。その辺りの問題を一挙に解決しようという試みだ。

特に最近の本は、なぜかPDF版が無料で(しかも最新のものが)Webに載っていたりするし、むしろPDF版だと出版中途のものも含め、本より早く入手できたりする。もちろん論文もたくさん入れておけるし(かばんの中でぐしゃぐしゃになったりしないし)研究的な活動をする人間にとっては、そろそろeReader系はかなりの便利ツールになってきつつあるような気がする。

「冷静と情熱のあいだ」っていう映画があった(もちろん見てないけど)あいだだとすると情熱レベルはどれくらいだろうか?熱意があるけど、ポスポスっとでるくらい?まあ間を取ってメラミくらい?まあよくわかんないけど、なんか仕事でそういうことが求められることが多い。

ぐおーっと何かを考えていて、突然、冷静に話せと言われてもそれは無理な話で、基本的には冷静になんてなれない。比較的抽象的なことを考えている時は特にそうで、もうみんなが何言ってるのか良く分からない。でも、そういう雰囲気を出すと、なんかどうしようもない空気になったりするので、今までの人生でいくつか対策法を編み出した。

1.緩急に合わせて三回に一回程度の間隔でうなずいてみる
2.とりあえずギャグを言ってみる
3.相手の目をまじまじと見てみる

1が特にオススメだが、なんかちょうどいい揺れ感で、どうしようもない眠気が襲ってくるリスクがある。2は40以上のおっさんがいると、ことごとく滑る。3もいいけど、何か得体のしれない勘違いを生むことがある。ということで、何気にいい方法がない。友人が相手の言ったことを同義語を変えて復唱してみるみたいな術を編み出していたが、そろそろそのあたりに挑戦してみるか。

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